若気の至りと言いますが、20代の頃に自動車製造工場で期間工としてトヨタの工場で働いていた経験があります。
まぁ、体力的な都合で半年持ちませんでしたが。(^_^;)
ブログで当時の内容を振り返って見ます。(゚∀゚)ノ
目次でございます。
工場で大きく稼げる!?転職情報誌に応募
初めに私の人となりを説明します。
小肉中背 ( アンガールズ田中を172cmにした感じ )
メガネちゃんは学はありません。が、ヤンキーじゃないです。ヤンキーの兄はいましたけど。
ギャンブルで使った金額も生涯で2,000円だけです。
タバコはセイラムピアニッシモ・メンソールを吸っていましたが喫煙期間は半年もありません。その後はずっと吸わず。
当時のバイト経験は、
石黒ホーマ(現ホーマック)
もみの木マークのスパー
マクドナルド・すすきの店
特にマックでは大阪人の大学生けい兄が優しいリーダータイプの人で大人だなぁ~と思ってました。
専門学校卒です。
優しい母に育てられた三男で自由気ままというよりは、他人を思いやって行動するような人。
友人のおばさんやおじさん達には受けが良かったですが、明るくひょうきんでクラスの中心的人物ではありません。
隅っこの5人グループの一人です。ちなみに嵐のメンバーではありません(笑)
クルマは、友人が走り屋( ワンビア )だったため、高校時代よりクルマ好き。とは言っても愛車は全て軽自動車。
専門学校を卒業してダイハツの営業スタッフになったのですが、ウソを付くのが苦手でして。
客との商談駆け引きについては何度こなしても全く慣れる事がなかった。
今でこそ巨人で高橋由伸が監督をやっていましたが、当時はルーキーでダイハツ・アトレーのイメージキャラクターだった。
回りの人が楽しければ自分も楽しい、明らかな不平等に対しては意見を言う、責任感は強く与えられた仕事はきちんとこなす、といったような人です。
おしゃべりはそんなに得意ではないかな。
座右の銘は、自分がやられて嫌なことは他人には絶対にしない。
ちなみに今現在は自営業を進行中。まだ軌道に乗っていないですけどね。
当時はパチンコ屋でバイトとして働いていた
当時の私は家の近くのパチンコ屋で働いていました。
特に何もやりたいことが見つからずブラブラしていた20代前半。
ただ、クルマのローン( ダイハツ・ミラターボTR-XX )の支払いが少しだけ残っていたので働いて金を稼がねばなりません。
転職・アルバイト情報誌を見てみると、家の近くにパチンコ屋があるのですが、そこから求人が出ていました。ホール担当。
まぁ、いいかという気持ちで面接を受けにいったらそこに高校の同級生のSがいました。
Sは美容師専門学校を卒業してスタイリストになっているハズなのに?
とは言え、知り合いがいるというのは何とも心強い、すぐに働き始めました。
ただ、パチンコ屋で働いている人ってクセのあるような人ばっかりなんです。
というかむしろ、みんなヤンキー。
なんか態度がデカイし、歯は抜けてるし、子供がいるのに休みの日はパチンコ、
意味がわかりません。理解に苦しむ。
ただし、キライな人ばかりではありません。
ドラゴンボールの孫悟空のモノマネをする先輩社員は好きでした。
「 オッス、オラ悟空! 」ではなく、「 んぎぎぎぎっ・・・・!!!! 」といった敵のカタナを如意某で受け止めているシーンを得意としていたな(笑)
私もヤンキーだったら良かったのですが、肌が合わず辞めました。
特にデコっぱちなのにアイパーヘアの課長と、悪い槇原敬之の社員とは合いませんでしたねぇ・・・。
で、次の仕事を見つけるため転職・アルバイト情報誌をペラペラ見ていました。
転職情報誌って、必ず後の方に
「 ビッグに稼げる!! 」
「 月30万!! 」
「 住み込み寮は無料!! 」
などといった自動車や電機機械設備の工場の求人が出ているワケでして。
その中でも、
トヨタの工場・愛知県で新生活をスタート!!
という広告が目に留まり応募してみました。
ま、今思うと完全な若気の至りというヤツです(笑)
札幌高等技術専門学院で資格を取りながら実践を学ぶほうが100倍良いが当時はそんな学校あること誰も教えてくれません。人生損したと思っております。
特に何も無い面接で、愛知県まで飛行機で
求人広告に書かれていた会社の番号に電話しました。
「 まだ応募は可能ですか? 」
「 問題ありません、一度履歴書を持って会社まで来てください。 」
と言った感じですぐに面接となりました。面接日はいつでも良いということで翌日にしてもらいました。
で、面接当日に札幌の営業所へ。
確か、札幌ヨドバシカメラの一本向こう側の道路沿いにある雑居ビルの1室が営業所。
正直、お世辞にもキレイなビルとは言えなかった。
ドアを開けて室内に入っても活き活きとしたオフィスなどそこには無く、デスクとむき出しの応接セットが無造作に置かれていました。
面接担当というか営業所もその人一人しか居ないんじゃないのかな?と思う。
ビシっとした中年ではなく、すでになにか諦めたような感じで覇気・やる気は全く感じられず。ダラリとした感じ。
「 身体は健康? 」
「 どこに住んでるの? 」
「 半年間、大丈夫? 」
と言ったような面接というよりも、ただの質問にこちらが答えるという形で終了。
すぐにその場で合格を貰いました。
出発日については、私以外の面接通過者との都合で1週間後となりました。
出発までの1週間でとりあえず行ったのが、クルマの処分と任意保険の解約手続きと、ネットの解約。
実家暮らしだったのですが、私以外にインターネットを行う家族はおりません。
よって光ファイバーを引いて1年くらいで解約。ギリギリ1年を超えていたので違約金は発生しなかったです。
クルマについては、走り屋の友人がセカンドカーとして欲しいということだったので無料で譲りました。
所有権の変更などについては彼はお手の物だったのでそのまま一任。
( その後、友人が何ヶ月か乗り回したあと、友人の後輩に渡りエンジンブローで廃車に。チーン。)
出発日の朝、バドミントン部で使っていたヨネックスのボストンバックに、
着替え・通帳・印鑑・MDプレーヤー・PHSに繋いでネットが出来る機材、などを詰め込んで営業所まで兄に送ってもらいました。
で、結局私一人だけでした。
なんでも、辞退することは良くあることだとか。
当時はそうなんだ~と思ってましたが、応募している人は実は少なくて、逃がさないため安心させるための人事戦略だったのかな、と思う。
そうでなければ、毎週毎週求人に掲載されるワケがありません。
札幌から新千歳空港までのJR切符は既に向こうが既に用意しており、
飛行機のチケットについては千歳空港のJALカウンターで購入するようにと指示を貰ってから札幌駅まで荷物を担いで移動。
札幌は地下鉄が張り巡らされており札幌市民の足として、一番多く使われている公共の移動手段。
私も専門学生時代はバス・南北線の地下鉄を毎日のように利用していました。
ただ、JR( 北海道の田舎風に言うなら汽車 )を使うのは2度目。
1度目はマックでバイトしていた際に帯広の新店舗のヘルプに行くことになったとき、早朝朝一番のJRを利用しました。
使い慣れないホームはドキドキで、私は札幌近郊に住んでいるにも関わらず田舎物状態でオドオドしながら列車を待っていました。
空港に到着しても、飛行機に乗るのも高校の修学旅行ぶりで、新千歳空港を多少うろうろしながらJALカウンターで手続きを済ませて飛行機に搭乗。
フライトを終え、愛知県は名古屋空港に到着。
さすがに地図上で北海道よりも南にある本州、すごい暑かったのを覚えています。
会社の寮は独房?タコ部屋。でもエアコン付き。
名古屋空港を出ると、現地本社の若いスタッフがワンボックス( ハイエース )で待っていました。
車内で、「 塗装と火を見るのどっちが好きですか? 」 と唐突に聞かれました。
仕事の内容はたくさんあるけど今はこの2つしかありませんということですね。
経験者のハナシをリサーチしてみたら、シート部門は握力がバカになるからオススメしない、むしろ絶対やるなとありました。
塗装部門については臭いがダメ。臭いに慣れていてもなんか頭がボーっとするなどの書き込みがあったので、この2つは絶対やりたくないと思っていました。
「 じゃ、火を見るほうで 」 と、私が配属する部門が決定した瞬間です。
車内で決まってしまいました。
で、私が配属される工程の工場ではトヨタ・ランドクルーザーを製造しており、左ドアの製造を担当するらしい。
ざっくりと話を聞いただけではイマイチよく分かりません。
車内で雑談を交わしているうちに本社事務所を兼ねた寮に到着しました。
当時でも、結構古い建物であることは外観から分かりました。
1階が駐車場・事務所、2階・3階が居住スペース。
ただ、フロアの割り方がすごい独特で北海道ではまず見たことがありません。
どういうことかと言いますと、通常のアパートであれば、渡り廊下が真っ直ぐ伸びて、その横に各部屋の扉が等間隔で設置されていますよね?
で、渡り廊下が建物内についている場合は、建物の中心地点に廊下が伸びて、その両サイドに部屋がある。
対してこの寮のフロア設計というのが、まずフロアの四面に部屋を作って、さらに中央部分にも部屋を作っています。
漢字の 「 回 」にもう1つ□を足したような構造。
で、私にあてがわれた部屋が、その中央部分の部分。
部屋の扉を開けてみてビックリ。なんとタタミ2畳分しかありません。
窓は1つ( とは言っても窓の外は寮の廊下だ )、
良くホテルにある小さい冷蔵庫、
14インチのブラウン管テレビ、
そしてベッドではなく布団。
そこに持ってきた荷物を置くと、もうイッパイ。
俗に言うタコ部屋ってやつです。
「 マジか・・・ 」 と思いました。
気を取り直してエアコンを付けてみます。このエアコンというのも窓にビルトインするタイプでしかも古いからうるさい。
寝るときは弱にしてもうるさい。おいおい・・・。
廊下側からエアコンの後を見てみると黒いホコリがビッシリ・・・。寮の管理はまともじゃないらしい。
風呂についてもスゴイ狭くて正方形の小さい浴槽が置かれてシャワーが付いているだけ。
風呂と言うよりシャワールーム。
浴槽の下になにかいそうで落ち着かなかった。
枡形の浴槽では湯船なんぞ無理だから、本当のシャワールームにすればいいのに!
メシについては、1階の食堂で1日2回出ます。
3食目については工場の社員食堂で食券を使って購入。
お金を稼ぎに来ているのでムダな食費は抑えたいところでしたが、価格が一番低いメシでも割高感が満載でした・・・。
さらに、土日は作ってくれる人が居ないので自分で調理することに。
毎回、永谷園のチャーハンの素でタマゴ無しチャーハンを食べてました。
洗濯機については、軒下にたくさんあります。
しかしイマドキ2層式ってないだろう!!洗濯機を回してから手作業で脱水層に入れる作業がなんとも面倒で嫌でした。
さらに室内に干してもなかなか乾燥しません。さすが湿度の高い内地( 北海道人は本州のことを内地と呼ぶ )です。
よって、乾燥機だけが12個ぐらい装備されているんですけど、有料なんですよね。1回500円くらいで高かった。
買い物については、歩いて1分のところにローソンがありましたので、必要なものは全てコンビニで調達していました。
北海道民の憩いの場、安いセイコーマートは当時本州にはまだ進出していません。
圧着溶接・ロウ付け・研磨作業のトリプルパンチ
到着当日はそのまま食事を取って就寝。
翌日は6時に起きて、朝食を取り、マイクロバスに乗せられて工場へ直行です。
製造一部門の責任者に挨拶して、容易されていたヘルメット・マスク・安全靴を装備します。
当時の安全靴ほど苦痛なものはありませんね。足の指も裏も痛くてたまりませんでした。
で、責任者の人にランクルの左ドアの作り方を教えてもらいます。
- 部品ストック棚より窓枠を取り、電気圧着機にセット。
- ドアパネルと部品をセット。
- パネル内のテンションバーをセット。
- ごっつい溶接ユニットを移動させて、銅で出来たビット部分を溶接箇所にあてがって、バチン!と火花が飛び散ると共に溶接完了
- そのドアを持ち上げてコンベアーまで運び、
- 手動コンベアーで転がして、今度は窓枠とドアパネルの接合部分の穴をロウ付けで埋めます。黒いサングラスを下ろしてガス溶接。
- 穴埋めが完了したら、その部分を滑らかにするためワイヤーブラシで研磨で、次の工程の人に流します。
特に、上からブラ下がっている溶接ユニットが重たくてその移動に全身の体力が消耗されます。
溶接後の重たいドアを持ち上げるのにも体力を奪われる。
ガス溶接をこんなに連続・長時間やっていたらサングラスを掛けていても目がおかしくなる。
さらに集中しなければならないから余計に体力が消耗される。
足もとは安全靴のハードさで痛くて集中力が切れる。
切れたところに、通常のランクルではないシグナスの指示のランプに切り替わっているのを見逃して、
通常ランクルの左ドアを6個ほど製造したのはご愛嬌。
っていうかランプ1個で指示をだすのではなく、部品ストック棚の枠を点等させて知らせれよ。
極限状態になるのが分かっているのにお知らせランプは上を見ないと確認できないってどういうことだ。
これがトヨタ品質か!!コラァ!!!!
で、ガス溶接しているときに、 「 なんかコゲ臭くない? 」 と感じて、
そこらへんを確認してみると、茂み奥にある電気コードが灼熱色に変わってました・・・。
;゚ロ゚) オォォーーー!!
束の間の30分休憩をゲット。レーンを完全停止に追い込んでやったぜ。
お前らオレに感謝しろよ(笑)
とは言っても焦がさせたのは私ではありませんが・・・。
寮の環境の悪さと、自身の体力を超えるオーバーワークで2ヶ月でギブアップ。
北海道に帰りました。満了一時金もありません。
自動車の製造工場、
とりわけドアパネル・サイドパネル・ルーフ・ボンネットを扱う工程では例外なく体力が要求されます。
中肉中背以上の肉体を持ち合わせていないと持ちません。
体力の無い人はエンジンの組み立て工程か、ミッションの組み立て工程に入るのがオススメだと思います。
寮無料・食事無料と書かれている場合、きちんと部屋の大きさと休日の食事、昼ご飯について担当者に確認するのを忘れずに。
↓ 履きやすいスニーカー仕様の安全靴